スタディスト



そうして気が付けば、岸野雄一はいつの間にか「スタディスト」と名乗っていた。オリジナリティ溢れる肩書きは世に多くあれど、このスタディストは中でも「オールマイティとはいえ余りに根源的すぎて…?」という、いわば味の素にも近い究極の名称。それゆえ、岸野さんに「スタディストでーす」と名乗られれば名乗られるほど、周囲は混乱に陥るというパラドクスが派生するワケだが、とにかくも、誰もがラクしてスリ抜けて生きた〜いと願う今、わざわざ自分で「勉強家」だなんて、ハンパな気持ちじゃ名乗れませんよ、絶対。そんな見えざる十字架を、わざわざ公に晒しながら我が道を行くスタディスト岸野雄一の原点、そして果てなき孤高の道中とは?

(文責:Super! 編集部 / "Super!" Vol.11 岸野雄一特集号より転載)

●つかまりたくない
「"スタディスト"を名乗りだしたのは、93年ぐらいからかな。最初は"勉強家"ってしてたんだけど、横文字の方がキャッチーかなと。まあ広く勉強するっていう、総括的な名称として。肩書きについてはね、結局"つかまりたくない"っていうか。"あの人は評論家でしょ"とか"ミュージシャンでしょ"とか、認知された時点で、途端に消費物になっちゃうし。受け取り側が距離を作っちゃうから。とりあえず自分としては、分からないようにしていくという姿勢は貫いてるけど、ただ発注される時の"じゃあ映画評論家の岸野さんとしてはこういう文をお願いします…"みたいな、メディアの側の誤解は完全に受け入れてますね、向こうは一断面しか知らなかったりするから"はい、了解しました"って。」

●この気持ちは何なんだ――?
「実家が喫茶店をやってて、いろんな大人が出入りしてたから、60年代の音楽や映画には小さい頃から実体験として接してきてて。かなりマセたガキだったね。幼稚園前の頃から、既にお気に入りのレコードがあって、「ああ、いいなこれ」って、毎日とっかえひっかえ聴いてた(笑)。で、小5か小6ぐらいの頃かな。当時はビデオとかないから、あらゆる表現物に対して、もう"これ逃したら観れない"と思って。それこそ一言一句こぼさず、瞬きも惜しいぐらいに必死で観てたの。で、見終わった後に、"この気持ちは何なんだ――?"と。」

「例えば、映画観たり、音楽聴いたりすると、なんか"ある気持ち"になるじゃないですか。ある感情に突き動かされるというか。その感情が、子供の頃から訳が分からないなりにも、すごく重要なものとして自分の中であって。空気みたいなもので、ある時になると欠乏してくるの。で、幼稚園に居ても闇雲に家に帰って、レコードを聴いたり(笑)。高校とか中学の時が一番強かった。校内にいる時は当然音楽とか聴けないから、当時はウォークマンとかないし。走って家に帰ってましたよ(笑)。もう"聴かなくちゃ死んじゃう"みたいなものに近かったなあ。」

「それが中学ぐらいになると理性的になってきて。"何でそれを聴くとこういう感情になるんだろう"とか考えるようになって。"もっと他にこういう気持ちになれるものはないのか"とか探し求めて…、それこそ「勉強」し出すんですよ。というか、これは僕の業の部分かな(笑)。そのうち"それを自分が作った場合はどうだろう"とか考え出して。そこから自分で作り始めたの。中3ぐらいかな、たまたま8ミリカメラを手に入れたので、最初は映像でした(*1)。」

●なんてこった、覚えたことが役に立たないなんて!
「いざ自分で実践してみたら、当たり前だけど自分が観てきたものと、全然違うわけですよ。まず技術的にダメで、でも慣れもあるから、その辺は勉強次第で段々どうにかなっていくの。でも思うように行かない(笑)。そこでいろんな理由を考えましたよ。当時は同級生に出演して貰って撮ってたんだけど、"これはきっと出てる人間が子供だからだ" "大人を出したい!"とか思ったり、自分はまだ高校生なのに(笑)。そんな理由もあって、この頃からだんだん大学の映研とか上映会とかに出入りするようになって。黒沢清監督(*2)ともそこで出逢いました。」

「自分でやり出すと、人の作品を技術的に観るようになって。"こういうカットの取り方に秘密があるのか?"とか、"いや、監督のあんまり意図しなかった部分がそれを生んだのかも"とか思って、"あんまり考えないようにやろう"って考えたり(笑)。やっぱり天然でものすごいものに対する憧れはありましたね。だから音楽にしてもそうで、"果てしないインプロヴィゼーションの果てに無意識があるのでなく、ものすごい構築の末に無意識が捻出されるんだ"とか。」

●苦行をしているつもりはない(笑)
「最初はステージでもテンションを上げるために、自分にいろんな事を課したりもしてたんだけど、それでも結局、無意識には到達できない。ある程度は、悟りとか訓練によってそれを得る方法も体系化されてはあるんですよ。でも、それをなぞるのもイヤっていう、"なんか自分で掴みとらなくちゃダメだ"とか、ここでまた自分に困難な十字架を課したり。とにかく色々考えすぎて(笑)。考えすぎた結果――"無意識に到達する方法はない"って事に気付いたんです。最終的になにかを掴みとれなくても、そうした過程にじゅうぶん価値があるんだと。そう思うとラクになって。最初に"何故だ"って考えた所が、ある種の世界の始まりでもあるし。だから、苦行をしてるつもりは全くないんですよ(笑)。むしろ楽しんでるんです。」

「結局、僕の場合は"映画を撮りたい"とか"歌を歌いたい"と思ってしてたわけじゃなくて、やりたいものっていうのは"定着された感情"みたいなもの?なんか表現したことによって、そこに"ある感情が定着する"ってことですね。そのためであれば、極端にいえば、それが映画であろうと音楽であろうと、全然構わないの。文章の場合も時間的な空白の表現ができないという難点はあるけど、それ以外はほとんど可能だし一緒ですね。注文が来て書いていくうちに、文章を書く人なんだという認知がされてきただけで――というと何か偉そうだけど(笑)。目的はあくまでも感情を焼き付けて、プレイバックできる状態にしたいだけだから。」


*1.なんと、ぴあフィルムフェスティバル入選歴あり。
*2.最近では役所広司、萩原聖人主演の『CURE』で話題を集めた黒沢清の作品に、なんと岸野さんが出没していたとは…。黒沢監督は岸野さんが勝手に出入りしていた立教大の映研のOBで「岸野君はニセ学生だから何やらしてもいい」てな成りゆきで、初商業作『神田川淫乱戦争』の主役格(童貞を奪われる学生)を演じている。



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